サーキュラーサーキュラーゆうとりますが
相変わらず、サークルクラッシャーというものを成立させる状態とそれを取り巻く状況についてなんやかやと考えておるわけです。俺はたいがいヒマです。かつ金が無い。
サークルクラッシャーおよびそれを成立させている(いた)状況ってーのは、非常に小さなコミュニティを成していると思います。サークルという小コミュニティの中の、更に限定された数人による極小コミュニティであると。ほいで、ここで話をこじらせるのは、肉体関係があったにしろなかったにしろ、結局は精神的な依存関係の問題なわけです。その極小コミュニティの成員が、「当該コミュニティ=自」という認識を持ってしまっているぐらいにそれぞれが依存しきってしまっていると。自分以外の誰かを罵られた(と感じた)ときに脊髄反射的に自分も怒りを感じてしまうという場合は、だいたいそういうふうに自意識の範囲が過度に広がっている状態で起こると思います。
で、そう考えると、こういう状況を成立させてしまう原因つうのは、恋愛経験値が高い低いつうよりもむしろコミュニケーション能力やアイデンティティ確立の問題にあるんじゃないかなあ、と思うわけですよ。高校生から大学生なんていう時期は、自己というものがまだ明確に自覚されておらずそれを作り上げていく時期で、意思の発信元としての自己が確立していないのだからそれに基づく意思の交流っつーのもまだ全然不安定なわけです。そういう状況における不安定なひとたちの不安定な交流の話だと。根拠のあやふやな自己承認欲求と根拠のあやふやな承認行動の二重らせん構造つうか。『ヤサシイワタシ』とかもそういう話なんじゃないでしょうか。読んでなくて他のひとの感想だけ見て言ってるので違うかもですけど。
まあでもそういうのを通して人間は自己を確立していくのだろうと思うので、そういう不安定な行為や関係そのものは特に問題ないはずなんですよ。つうか人生のどこかの成長段階で必ず起こってるはずのことで。問題なのは、自己をある程度完成に近いところまで確立し終わる年齢が、分別ある恋愛をできると思われている年齢にまで上がってきて現状重なってしまっている、もしくは恋愛をすべきとされる年齢が自己を確立しようのない年齢にまで下がってきている、そういうひとが増えているということなのではないかと思いました。それなので、自己の形成がまだ十分成されていない状態において、自己承認欲求とか恋愛物語消費欲求とかを持つように社会的に要請され、そこに性欲なんかも絡まってごちゃごちゃになり、自己の確立より早く他者と深く関わる状態になってしまい、ほんで相手の自己も確立してないもんで、お互いアイデンティティが確立できずに喪失されてしまって、わけわかんない依存状態になるのではないかなあと思ったのでした。恋愛物語を消費するには必ず相手が必要でかつ特定の相手は必要でないもんだから、話が更にややこしくなっちゃうのではないかと。で、その時期にもう自己ががっちり固まっちゃってる(確立の達成もしくは早期完了)ひとから見ると、こういう依存集団はバカみたいつうかガキっぽいつうかキモイだけつう感じなのかもしれません。
そんで、恋愛と自己承認を切り離して考えられることが恋愛経験値が高いつうことなのかなあと。依存なんてまっぴらだわみたいな。私もあなたもお互いに所有されるマテリアルであり所有を承認しあう契約関係ですみたいな。でもそれもまた依存としての恋愛のかたちかなあ。んーでも依存じゃなくっても「お互い惹かれあえ」ばいいだけの話か。どうゆうことだ。「きみが居なくなってもそれほど何とも思わない」つう恋愛ってあるのでしょうか。ほどほどの依存で満足みたいな。「世界でいちばん愛されたい」なんてのは完全に依存欲求だと思うしなあ。むー物事を極端に考えすぎる俺は中二病。いや一周して大二病。
席を譲らなかった若者の話がすごいらしい
歩いてて対面からひとが来ても決して道を譲ろうとしない50代のオッサンているよなあーなどというのを思い出したりしました。自分がオッサンであるということだけを理由にしてこの世でいちばん偉いみたいにふるまうオッサンっていらっしゃいますよね。俺がこの世でいちばん嫌いなのはそーいうお方であります。50代の男がそんなに偉いかよ。まるで関係ない話をしてしまったような気がします。まあいいじゃん。