パーフリ大好きな田舎もんの日記


日記ちょうさん経由で知ったこれを見て思ったんですけど、パンクとファッションパンクがあるように、渋谷系にも渋谷系とファッション渋谷系ってのがあるんじゃねえかなあ、と。渋谷系という音楽ムーブメントが精神性と方法論と実体としての音楽で出来ていたと考えるなら、そこから精神性を抜いたらファッション渋谷系になるのかなあ、と思いました。精神性を重視するか否か、と言うか。で精神性を保持しているひとは現在では方法論の方を変化させて違う音楽になっていたりして、そうすると渋谷系とファッション渋谷系は態度として真逆に対立することになるなあ、と。あと、精神性を理解するには時代背景を知ったり共有したりすることが必要だけれど、方法論を理解するのにはそれは要らない、とか、そういうのもファッション化の原因になるのかもしれないなあ、と思ったりしました。つうかファッション化したから売れたのかなあ。ファッション化するとは精神性を抜くことなのでしょうか。趣味化するということか。むむ。ファッションサブカルとかファッションオタクとか考えていくときりがなくなりそう。

ちなみにフリッパーズギターは俺の人生に影響を与えまくった音楽であり存在であったことは間違いなく、またその後の渋谷系フレーバーな音楽も結構好きだったのですが、俺自身は渋谷系全盛期には九州の田舎の中学生から高校生だったわけで、そういうムーブメントに対する当事者意識がまるでないのです。好きだけど関われてない、みたいな。こういう俺みたいな、いつまでも憧れをうじうじと引きずってるのをファッション渋谷系というのかもしれんなあと思いました。ぎゃふん。