「オープンソースのコンテンツ化」の話の続き


オープンソースという言葉の誤用を指摘された後に、正しい定義の説明を読んで考え直してみたわけですが、この場合のソースコードは「基本的な世界観」のことで、二次的創作者がルールに則ってそれを利用したり改変を加えたりしながらプログラムという「その世界内での個別の物語」を作る、ということなのだと思いました。つまりそれは大塚英志の『物語消費論』のことなんですけど、そう思ってググってみたらhttp://d.hatena.ne.jp/samona/20050321#p1さんで触れられていたのですが大塚英志本人が自著の中でLinuxについて触れているそうで(物語消滅論―キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」 (角川oneテーマ21))、やっぱりなあと思いつつ俺は遅れてるなあと思いました。

そこで考え付いたことは、ブログとオープンソースのシステム的類似の話で、それは松永さんが「ブログ――メディアのオープンソースコード[絵文録ことのは]2003/11/07」で述べられているのに近いのですが、もう少しシステムの機能的な部分の話として俺は理解しました。とりあえず自分の考えを書き出してみると、以下のようになります。

ブログというシステムの構造を考えると、エントリ本文があって、その本文に対して付けられたコメントがあり、またそのエントリに対して打たれたトラックバックがあります。その3つの要素をまとめたものが広義の「個別のエントリ」と呼ばれ、ひとつの独立したページを与えられ、そこにparmalinkとしてのアドレスが振られます。その個別のエントリの集合体を見かけ上ひとつのまとまりと見なしたものがひとつの「ブログ総体」であって、このことが意味することは、ブログというシステムは、決して、ブログ総体としての仮人格の存在を先に想定してあるシステムではないだろうということです。

ブログでは、まず、話題の開始としてひとつのエントリ本文が書かれます。ひとつのエントリはひとつのエントリとしてブログ総体からは構造的に独立しています。そのエントリによって与えられた意見や考え方の枠組のことをそのエントリの「世界観」と呼ぶことにすると、読者がそのエントリに対してリアクションを起こすときに、読者はそのエントリの「世界観」を話の基底部分として了解し、その「世界観」に対してアプローチしていくことになります。

コメントという機能は、読者が、エントリの「世界観」に対して、その大枠には手を加えないかたちで補遺・注釈的に「世界観」に深みを与える小エピソードとしての役割を担います。大幅な追加設定を加えずに書かれるサブストーリーと言うか。プログラム的に言うと、エントリに対する追加モジュールや、パッチファイルと言ったものに当たると思います。

トラックバックという機能は、作者Aによって書かれた先行エントリに対して、そのエントリの「世界観」に沿って作者Bが自分の考えを自分のブログに新しいエントリとして書くときに、参照した先行エントリとの相互参照が可能なように相互にリンクを貼る機能です。このことによって、新しいエントリによって拡張された「世界観」が先行エントリの「世界観」とシステム的にリンクされ、結果として元の「世界観」が拡張されたという認識を読者に与えます。つまり、作者Aによる元のソースコードに作者Bが手を加えて変化・拡張させた設定としての「世界観」が作者Bの新しいエントリ=プログラムとして姿を現すわけです。

以上、ブログというシステムモデルが構造的にオープンソースというモデルに類似している、と俺が感じたことについて説明してみました。

追補として述べると、エントリの「世界観」を共有せずに反応するということは、書いてある言葉を曲解してしまうことになり、さながら言葉尻のみを捉えたような状態になり、コミュニケーションが上手くいかなくなると思います。そのとき、ブログの持つコメントやトラックバックといった機能は本来の意味を失い、先行エントリの「世界観」の拡張には寄与しなくなると考えられます。

また、ブログで「過去ログ読め」と指摘される場合、その指摘が過去の特定のエントリやトラックバックで辿れるエントリを読んで話題の「世界観」を掴むことを促す指摘である場合はその指摘は正しいと考えられますが、当該エントリの作者などの特定の人物のひととなりを知って特定の人物の『世界観』(=思考や嗜好の方向性や枠組)を掴むことを促す指摘である場合はあまり正しいとは言えないと考えられます。なぜならば、ブログというシステムは、特定の作者の人格をあぶりだすような志向を持ってデザインされたものではないと考えられるからです。

だから現状日本ではブログというシステムはブログとして使われずにテキストサイト的な日記ツールとして使われているもんだからシステムとの齟齬が起こってるんだよ、とか、はてなはちっともブログなんかじゃないんだよそれはつまりはてなというシステムのデザイン上の指向性が個別のエントリや話題ではなくて利用者個人を向いているからなんだよはてなでのトラックバックの扱われ方がおかしいのはそのせいだよ、というふうにまとめたいんですけどもう疲れた。察してください!(非ブログ的)