2日前の続き


俺の考えの自然な流れとしては、2日前のエントリの内容からコミュニケーションとかコンテンツとかの話に持って行きたいわけだが、なんつーか自分の長文の下手さにほとほと参っちゃっておるので、つうかあーいうふうにしかつめらしい顔して延々とキーボード叩いて論旨があれでこれでみたいなことを気にしながらそれほど面白くない文章を書くと確実に脳細胞の何百万個かが死んじゃいますのです。たまに実感しませんか? あー今俺の脳細胞の何百万個かが死んだなーって。ボンて。そんなわけで要点だけ言うと、コンテンツにもコミュニケーションにも定義がいろいろあるじゃないすか。まあコンテンツの定義はそんなにないつうかたぶん同じものをどんだけメタに見るかみたいな感じだと思いますけど。コミュニケーションにはたぶんメタとかじゃなくてはっきりと違う何種類かがあると思うわけですよ。だからそこらへんの定義の種類みたいのを洗い出してから話し始めるとすっきりするでしょーてな感じです。あー軽薄文末はラクだわ。コンテンツてこんなん!こんなん!コミュニケてこんなんこんなん!てみんなでたくさん出し合っといて出揃ったら「いやーそれは違うべ」て潰していって、ほんで各人それぞれの結論を出すとスムーズっすよね。ネット人総力挙げてのブレインストーミングみたいな。そういう意味なんじゃないの「コンテンツのオープンソース化」って。そうでもないか。ほんでまあ上手いとこまとまったら誰かがプロ文体でリライトして出版するわけですよ。ほで地味に儲かったら、みんなにブリック1パックずつとか奢ればいいと思います。俺ヨーグルト味がいいなあ。つーかもう言い切るの疲れるからとことん言いっぱなしで行くことにします。説明とかすらしないぜ! 「言葉の意味はわかんないけどなんとなく同じ時間を過ごす」ってゆうコミュニケーションもあると思いまーす。そのコミュニケを行うために大事なのは時間の経過を体感できることだと思いまーす。ネットにあるコミュニケ用のシステムでは、チャット以外はそのコミュニケには適さないと思いまーす。ただ、2chみたいに流れの速い掲示板だと、時間の流れを体感できると思いまーす。あと、ただ時間の経過が体感できるだけではダメで、“みんなと同じ”時間を体感することが大事で、つまりそれは“みんな”の内側に参加者はもちろん閲覧者も入った気になれるような構造になってることが大事だと思いまーす。それはたぶん共犯関係とかの話と関係あって、発信者が閲覧者を“みんな”の内側に敢えて取り込もうとする指向を持っていたのが深夜ラジオでありテキストサイトだったんじゃないかなあと思いまーす。発信者が閲覧者を“みんな”から排除しているのがクネクネだと思いまーす。あー言いっぱなした。論旨とか知らない。オチもない。