現実の正しさに対する長い韜晦、もしくは、全ての言葉はさよなら

正しくて美しい生活をしたいと思った。

今の俺が考える正しくて美しい生活は、ただ仕事を中心とした生活。そのリズムは、一日の仕事を終えて職場を後にしたところから始まる。その日の仕事を終えた瞬間から、明日の仕事の準備が始まるからだ。

帰り道すがらにチャリンコを漕ぎながら、今日買って帰らなければいけないもの、つまり明日の生活に必要になるものを思い浮かべ、スーパーに寄ってそれらを買う。店内を軽く回って、特売になっているカップ麺や、半額になっている惣菜などがあればそれも買う。酒も少し買う。ビールなら2本ほど。疲れた日にはもう1本。

家に帰り着いたらまず、扇風機をつけ、エアコンをつける。携帯のマナーモードが解除してあることを確認しつつ充電器にセットする。軍手を干す。着替えずにそのまま部屋の掃除をする。掃除機をかけ、床を拭いて、夏は籐マットも拭く。あと、毎日違うどこかを掃除する。終わったら、今日の洗濯物を洗濯機に放り込んで洗いながら風呂に入る。30分ほどかけて、男にしてはゆっくり浸かって身体を緩める。

風呂から上がった頃には洗濯が終わっている。とりあえずビールをひとくち。いったんエアコンを切って、麦茶用のお湯を沸かす。3〜4リットル。沸くまでの間に洗濯物を干し、酒を飲みつつ惣菜をつつく。お湯が沸いたら火を止めて、麦茶パックを入れて、またエアコンをつける。麦茶が出るまでの間、また酒を飲みつつ、録画しておいたテレビを見たり、ネットをしたり。

そのうちに、麦茶がしっかり出て温度も下がったあたりで、麦茶を容器に移し、冷蔵庫に入れて冷やす。そうして、明日の昼食のカップ麺をバッグに入れ、明日着る服を準備し、明日起きる時間と携帯のアラームの時間を確認して、日が変わる頃の時間に眠る。

朝起きて、麦茶を飲む。シャワーを浴びて、上がったら、麦茶を持っていくためのペットボトルに移し変えて、バッグに入れる。髭を剃り、髪を乾かし、着替える。携帯とタオルと軍手をバッグに入れ、家を出る。昨日買い忘れていたものがあれば、行きすがらのコンビニで買い揃える。朝食としておむすびをいっこ買ったりもする。

そしてまた一日の仕事。

こういうふうに考えてみたら、誰かと話したり遊んだりする時間がないことに気づいた。それはどういうことかというと、今の俺には、毎日の生活の中で誰かと交流したいという気持ちが無いということなのだろうと思った。

また、これは俺にとってはいつものことなのだが、俺は、仕事をしていると、仕事についてのことを考えるか、なんにも考えないか、のどちらかになってしまうので、そういう状態の俺と喋ったって遊んだって別に何も楽しいことも面白いこともないだろうなあ、と思うのだ。そうすると、俺が誰かと交流するということは相手にとっては時間の無駄だ。なので積極的に誰かと関わろうという意欲がいまいち湧かないのだ。

こんな状態の自分の日記を残そうという気にはならない。

俺はウェブ日記を何度も書いては何度も途中で止めているのだけれど、俺の日記が続かなくなる理由はたぶんそのへんにあるのだろうと思った。自分の生活を記録するということにあまり興味がないのだろう。そればかりか、全ての記憶を順々に忘れていく。いつでも気になるのは今のことばかりだ。君ともう会えなくなるのだとしたらきっと俺は君を忘れてしまうだろう。そして君にとっての俺も同じことなんだ。俺は誰からも忘れ去られやすい。

明日から更に起きる時間が早まって、当然寝る時間も早まる。仕事時間が長くなる。毎日が仕事ばかりになる。日記に書きたいようなことを考えることが少なくなる。自然と俺はこの日記を書かなくなるだろう。そうしてそのうち俺は忘れ去られると思うけれど、それは仕方がないことだ。

日曜とかの休みの日には何か書くこともあるのではないかなあ、とは思う。でも休みの日は基本的にずっと眠っているので、何も書かないかもしれない。でもまあ、ウェブ日記ってそんなもんですよね。たとえば悲しいことは何もなくて、ただまた他に新しい日記を見つければいいだけのこと。

もうあえないひとのためにさようならをいつもむねにしのばせている。