さみしい、なんて、ほんとうはどうでもいい感情だと思う。そんな感情持ってたって何の役にも立たない。たとえば、さみしさで近づいて二人が出会ったとして、それで? それがどうしたの? 何かいいことありましたか? やっぱり俺は感情を殺したい。それでもう誰にも出会えなくなってもいい。もしも誰かと出会えて何かいいことがあったとしても、それは所詮俺の中の出来事で、相手は大して何とも感じていないだろうなと思う。俺は誰にとっても意味がない。無駄な俺が無駄にさみしがることが誰の役に立つというのだろう。存在する価値を持たない人間であるところの俺からすると、君たちのきれいごとには吐き気がするよ。いつだって理想、理想、理想、そしてそのビジョンに当て嵌まらない俺はいつも視界に入らないんだろう。それは俺の無力だということはわかっていて、わかっているからこそ俺は黙り込んで静かに消え去ろうと思う。いつか誰の視界にも入らない人間に成れたなら、俺はほんとうに空気のように街を歩きたい。たとえばそのときさみしいという感情が俺に降ってきたとしても、俺の胸は透明なので感情は俺を擦り抜けて道端に落ちるだろう。そのまま吸殻みたいに靴の踵で踏み潰してしまえばいい。ほんとうにどうでもいい感情。

俺の人生は賭け事に向いていない、だからもう感情を買う気にはならない。値が張るし、負ける。