中二病とかサークルクラッシャーとか


中二病とかサークルクラッシャーとかの言葉がなぜ“自虐ネタ”扱いに留まらず他虐ネタ化しているのかということについて一般論的に考えてみた。ザッツメタブログ

語り手と聞き手の間に共犯関係が無いところでの自虐ネタは自虐ネタにならないと思うんですよね。「俺らってバカだよなあ」という意識を語り手と聞き手が共有できているから自虐ネタが成立するわけで、そしてそのネタの中身は主に「バカだよなあ」の部分を語る精度によってつくられているので、そのネタを共犯的に受け止められないひとをネタの導入部分などで上手く振り落とすことができなかった場合、聞き手の方に「俺らって」の部分が共有されないままにネタの中身に突入してしまい、そのひとにとってはそのネタは自虐ネタとして成立していないことになってしまうと思います。そうすると、攻撃の方向が自分(たち)だけではなくそのネタ部分で「バカ」だと言及されている性質に当てはまる全ての人間に向かうことになってしまいます。攻撃という行動の性質上、場合によっては、語り手自身だけが攻撃される対象から外れているような印象すら受けてしまうという、ネタとして真逆の立ち位置になってしまうのだろうと思います。

だいたい、ネタとして扱うのなら、「中二病」「サークルクラッシャー」という言葉がどうしてもキーワード的というか辞書的に扱われてしまうのが良くない。こういう言葉があるんです、みたいなね。キーワード解説で辞書みたく説明しちゃったりね。辞書っていうのは、もっとも共犯関係を排除するように書かれなければならないものであって、むしろ何も知識や空気を共有できていないひととひとの間にとりあえず言葉の意味だけを共有させるためのものだと思うのです。で、そういう意図を持ってみんながはてなのキーワード解説なんかを読むわけなので、キーワード解説の部分で自虐ネタをやるというのは、これはとんでもなく場違いなことなのではないかなあ、と。もともと自虐ネタってのは攻撃性が非常に高いものであって、自分(たち)を深く傷つければ傷つけるほど面白くなる性質のものなので、そのネタを「俺らって」という枷を外して使われるような状況に置くのは危険すぎる。

何を言いたいのかというと、きちんとした共犯関係を読み手と聞き手とでつくる気が無いのに“これは自虐ネタだから”と言い張るのはかなり疑問だなあと思った、ということで。「スタンガンは防犯グッズだ」という意識を持っていないひとたちに何も説明せずに適当にスタンガンをばらまいておいて、これは犯罪にも使えるじゃないかと言われたら“これは防犯グッズだから”と答えてるみたいな感じを受けるんですよね。「これは防犯グッズです」という説明書きがついていたとしても、結局は使うひとの問題になってしまうのだから、「これはネタだよ」とただ言うだけではあんまり意味は無いなあと思いました。そういう部分に対する注意が失念された状態で用語だけが流通してしまうのはなんか嫌だなあ、と。危険なものをみんな無造作に扱いすぎと言うか。自虐力の高い言葉ほど、簡単に他人を深く傷つけられる言葉にに転換してしまうから。


……つまりまあ「俺、傷つきました!」って言いたかっただけです! 一般論として対象化することで自分の痛みを軽減したかっただけです! どっちにも心当たりがありすぎます! 当方、中二病華やかりし季節を過ぎても後遺症に絶賛悩まされ中の原理的小室哲哉ファン(いちばん好きなアルバムは『Digitalian is eating breakfast』)にして非ハイソ非サブカル非オタク非DQN非女慣れかつ非モテであります! いちばん救われねえ存在のような気がしてきた。(自虐ネタ)