サークルクラッシャーに割と好意的な人間の日記

外れた輪



サークルクラッシャーのことについてもうちょっと考えてみようと思ったのですが、考えれば考えるほど、結局はサークルクラッシャー的な性質を持つひとに対して各人が持つシンパシーの問題でしかないのだなあ、という気がしてきて、大変暗い気分になってきたのでどうしたものかと思いました。そういう人間に興味を持ったり共感したり惹かれたりするひとも居れば、そういう人間を嫌悪したり拒絶したり侮蔑したりするひともいるわけで、まあ当然無関心なひともいるし、そのへんを思うともう別に俺が考えてどうこうという問題じゃねえなあ、と。

ただまあ、サークルクラッシャー的なひとの性質、というのは、その性質を示すことだけなら精神医学なんかの用語を使えばたぶん十分に説明できるような気がするので(恋愛依存とか共依存誘引性とか過度の自尊欲求とかかなあ。まあ言うほど詳しくないので申し訳ないですが)、あえてそこに「サークルクラッシャー」という用語を設定するというのは、サークルをクラッシュするという行動や状況およびそれに関わるひと(たち)についての何らかの感情的な判断が含まれている、と判断するのが自然だと思うし、そしてここでこの言葉にプラス評価としての感情が与えられているとはちょっと考えづらいので、やはりマイナス評価としての用語だと思わざるを得ない。まあそれを指して“侮蔑語”だと俺は感じたのだと思います。

結局のところは、俺自身が共依存的な性質を持つ人間なので、それを侮蔑的にからかわれたような気になって、過剰に反応してしまっているだけなのだろうなあ、と思いました。まあしかしそれは、この用語を設定した方々からすれば願ったり叶ったりというか、狙い通りにからかわれたことになったわけで、つまりは俺がこういう文章を書いているという時点で煽りにマジレスつうか釣られたつうわけですよね。述べられているような状況に心当たりが無かったら反応なんかしないし、自分がその当事者じゃなかったら「ああーそんなことあるあるー」なんて言いながら生暖かく見守ればいいだけだし。

こう考えると、「サークルクラッシャー」という言葉は、別に侮蔑語なんかではありませんね。単に、そういう状況に陥ったことがあるひとたちが、封印しておいたはずの過去を引っ張り出された気になって恥ずかしくて逆ギレしたみたいな。「バカ」「アホ」みたいな、その語の使用が直ちに侮蔑的な意味を持つ言葉では少なくともない。ある特定の使い方によってしか侮蔑的な意味を持たない言葉は、いわゆる侮蔑語とは呼べないですね。だから、「この言葉は他人を貶める言葉だ」という非難は、どうも議論の的を射ていないような気がします*1

どっちかつうと差別語なのかな。「俺らはあいつらとは違うから」みたいな。特定の性質を持つひとをそういうカテゴリーのひとだと認定して、心理的に隔離し、人間としての関わり方に線引きして制限することで、そういう相手に取り込まれることを防ごうとする心理的作用なのかなあ、そういう用語を作るということは、と思いました。そういうふうに呼んでいる相手に対しても、表面的な接し方は仲良かったりするだろうし。ただまあそれにしても、そういうふうに呼ばれていることを本人には知らせずに用いられる用語だと思うので、俺はまあそういうのは気持ち悪いなあと思うので、まあ、気持ち悪いです。つうか、そういうレッテルの貼り方を俺がもう知ってしまったがゆえに、俺自身が他の人を見て「こういうひとがサークルクラッシャーなんだろうなあ」とレッテルを貼るようになってしまったのがいちばん気持ち悪い。死んでしまえ俺。こんな言葉知らなきゃよかった。

いやいや。よかったことを考えよう。この用語が設定されたことによるメリットは何か。それは、今までサークルクラッシャー的なひとに振り回されまくってたような性質を持つひとがこの言葉を知ることで、崩壊するほど振り回される前に気づいてその関係性から一歩引くことができます。かくして、サークル内での共依存的な振る舞いは少なくなり、文化系サークルの崩壊数も飛躍的に減少するのでした。だって87%だし。共依存を断ち切らなければ依存はなくならないですしね。健全な恋愛しか存在しない趣味的コミュニティちょう居心地良い。みたいな。むしろサークル内恋愛禁止にしちゃえばいいと思った。あとオフィスラブも禁止で。みんな恋愛は17時以降にしてくれればいいと思いました。ひとまえでいちゃいちゃすんなぼけー1枚のコートを2人で被って横断歩道渡ったりすんなぼけーー(ルサンチマン1000mg配合)

*1:もちろん、「侮蔑的な言葉をキーワード設定するとは何事だ」みたいな非難もまた別の問題。