もうそろそろ君のこと忘れよう


相変わらずサークルクラッシャーのことについて考えてたんですけどね。んー、根本的に俺が間違えた考え方をしてたのだろうなあと思いました。

要するに、アッシーとかメッシーとかミツグくんとかコギャルとか援交とか自分探しとかヒッキーとかだめんずとか負け犬とかまあ言うたらオタクとかサブカルとかもっと言うたら大衆とか群集とか愚衆とか市民とか労働者階級とか、そんなふうに、ひとびとのある行動様式とか状況とか状態を指し示すための用語として設定されたのであって、ある特定のひとを指し示して価値判断をどうこうするための用語ではなかったんですね。つうかその対象とされているひと個人個人の事情なんかは、具体的な例事象としての意味以外は別にどうでもいいというか、興味が無いというか。そこを俺が勝手に勘違いして、その個人個人の事情とかのことを考えてしまったのが間違いの元だったんだなあ。誰もお前のことは言ってないつう話。狙われてないのに釣られすぎだった。俺の前世は長靴だと思います。

そういうところに名前をつけるのは必要なことですよね。キャッチーになるし、みんななんとなく落ち着くしね。その状況を問題として解決しようとするには誤解を招きやすくなるので困るけれど、分類者はそういう問題意識など持たずに淡々と分類を設定するのが正しいと思うし、問題意識を持つひとってのは決まってそのキーワードを知ってから「それは問題だ」と騒ぎ出すもので、まあそこらへんはこの話とは関係なくていろいろめんどくさいことですわね。あー早く死にたい。

そういうわけで「恥ずかしいわー」とポッと頬を赤らめつつ落ち着きました。ハンバーグ食べたい。