セカイ萌え―キャラ萌え―話題萌え、とかも思いついた


未だ方向性を模索中のこの日記ですが、やっぱりちょっと分割したほうがスマートにいくような気がしてきました。それはなぜかというと、基本的に俺が分裂してるからです! ザッツスキゾキッズ! 反=オイディプス! そういうわけで、アウトプットの場所を3箇所にして使い分けてみようかなあと思いました。日記―はてな―ブログ、として、閉じたPrivate―開いたPrivate―Public、と使い分けたほうがいいかなあと。そうしたほうが場所の特性的に、読んでるひとに親切かなあと。こいつ今閉じてんのかなー開いてんのかなーという逆キムタク流判断を読者にしてもらうよりは場所によって物書きの態度を決めておいた方が理解もスムーズに行くじゃろうかと思ったわけであります。別に適当にオン書きでぶっとばして3種入り乱れる感じの今みたいなままの方が楽なんですが、俺が楽してる分読むひとが混乱するでございますよね。俺は詩も書くのでしみじみ思うんですけど、言葉を誤解されないためにはそれが発せられる環境もすげえ大事だなあと思うわけですよ。環境とはつまり聞き手の頭の中にある「受け取り方」のことで、話し手が期待するような受け取り方を聞き手が持ってないときは正確になんて伝わりっこないのです。そんで、そこでの理解失敗を改善しようとすることによって聞き手は学び、新しい「受け取り方」を手に入れる。もちろん話し手も学ぶんだけど、表現の仕方の根幹になるパターンはそういくつも学んで手に入れて切り替えられるもんじゃないので、普通は表現の仕方や態度の微調整みたいな感じで学ぶと思います。ほんで、話し手も聞き手も、どの場ではどの受け取り方に対して話すべきか、どの受け取り方を使って聞くべきか、みたいなのも学ぶわけです。そうすると、場の雰囲気に合った喋りの態度って大事だねと。あと場のシステムを読む力。まあほら、こういうふうに揺れ動いた態度で書いてると読む側的に混乱するでしょ? 無益な混乱は避けるべきだよね。俺がめんどくさいから。そういうわけでまだまだ模索して行きまーす。人生万事暗中模索。