ブログつれづれ

ブロガーとブロゴスフィアの関係は、小説家と文壇の関係に近いなあ、とぼんやりと思った。ブロガーとアルファブロガー社交界の関係も、小説家と文壇の関係に近いなあ、とぼんやりと思った。この2つの文壇の意味はちょっと違う。


それとは関係ない話だが、ブログは始まったり終わったりするものなのかと考えると別にそんなことはなくて、まあ強いて言うならひとつのブログが始まったり終わったりすることはあると思うし、もしくはそのブログのようなものを「ブログ」と呼ぶようになったという時代の変化によって生まれた状況が終わってしまうことはあるだろうが、「ブログの終焉」という見出しをつけられた文章には別にそんなことは書いてないわけで、つまり「ブログの終焉」という文章には「ブログの終焉」についてのことなど別に何も書かれてはいないわけで、つまりそれはキャッチーな見出しを付けてみただけなわけで、キャッチーな見出しに基づいて議論をしだすとびっくりするぐらい話が噛み合わなく訳わかんなくなるのは見出しに書いてあることと本文に書いてあることが違うからですよ、といつもながらの感想。見出しはいつも嘘つきかカッコつけかそのどちらもかだ。


それとは関係ない話だが、俺が何故ブログのコミュニケーションの双方向性が嫌いなのかと言うと、コメント欄があることで双方向性が留保されているにも拘らず何もコメントがつかないという状況だと寂しくて死んじゃうからです。他者を意識しつつ孤高の不人気に耐えられるほど神経が太くないし絶大なる反響に耐えられるほど神経が太くもないというわけでつまり神経が細いということです。ノミの神経です。ノミはノミ屋。祭りに乗りきれないナチュラルボーン異邦人派テンションでお送りしています。


それとは関係ない話だが、あなたにとってブログって何ですか。なんなんでしょうね。